2018年04月03日
こども達がやって来た② 「平和祈念公園」「ひめゆりの塔」「沖縄ワールド」
おはようございます。蔵出しブログでございます。
前稿から夏休みに次男と三男が沖縄に遊びに来た話をアップしていますが、今日はちょっと重い話かもしれません。だいちゅけが初めて沖縄に来たのはもう20年以上前、それもだいちゅけパパ(ってか?だいちゅけの親父)と二人だけで来ているのです。
その理由というのがまた変わってまして、なんと沖縄巡礼の旅で沖縄に初上陸したのです。親父は昭和8年生まれで、5歳の時日中戦争に従軍していた父親(だいちゅけの祖父)を亡くしています。まさに軍国少年だったわけですが、本土に住み、さらに戦火を避けるべく疎開していた親父は、激戦に晒された沖縄に対し常に「申し訳ない」と言う思いを持っているらしいのです。
そんなことで社会人になった息子(だいちゅけ)を連れて、お盆の休みに合わせ巡礼の旅に来た次第ですから、恩納村でレジャーなんてとんでもない話で、当時の平和祈念館やひめゆりの塔、喜屋武岬、様々な慰霊塔を回ったりと、どっぷり「巡礼」だったという訳です。
そんなこともあり、自分のこどもが遊びに来ても沖縄の歴史を少し学んでから沖縄で思い切り遊んで欲しいと思いまして、去年8月の記事になりました。前置きが長くてスミマセン・・・。
ちょっと重い話も多いのでご興味の無い方はスミマセン、宜しくお付き合い下さい。
次男と三男が沖縄にやって来た翌日。この日は8月9日で長崎の原爆の日。忘れてはいけないのは沖縄は太平洋戦争中住民を巻き込んだ激戦地だと言うこと。ボクの故郷である江東区(深川)も東京大空襲をはじめとした、凄惨なホロコーストを受けているが、沖縄という地は地元住民を巻き込んでの「戦い」が行われた土地であるところが、ちょっと違った意味がある。
先日読谷村にあるチビチリガマが、肝試しをしていた少年たちに荒らされたと言う話が沖縄を駆け抜けたが、後々経緯を聞くとチビチリガマの歴史的な意味を全く理解していなかったと言うことだ。
「ガマ」とは沖縄に多い自然の洞窟の事で、太平洋戦争中はこの自然の洞窟を軍が基地に使ったり、住民が防空壕として利用していた。上記読谷村は沖縄中部にあり、昭和20年3月にアメリカ軍が初めて沖縄本島に上陸した場所。読谷村にあるガマの一つチビチリガマでは、当時住民が多数避難していたが、アメリカ軍の上陸に合わせ「生きて辱めを受けず」の精神の下、ガマの中で集団自決が行われたそうだ。
考えただけでも恐ろしい。家族で手榴弾を囲んで自決したり、親子で殺しあうと言う凄惨な地獄絵巻が展開されたそうだ。なんで?なんて平和な世の中に生きている我々は思うと思うが、当時国民は「生きて辱めを受けず」の精神を叩きこまれ、捕虜にでもなったら、男はその場で殺され、女子は辱めを受けた後に殺されるなんて話を擦り込まれていた訳だから「常識」は怖い。
教科書ではこの集団自決について日本軍の強要は無かったという事になっているが・・・。こういう話はブログでは御法度だな。
そんな沖縄と言うこともあり、息子たちには史実を理解した上で沖縄をエンジョイして欲しいと思い、9日の午前中は平和教育巡りをすることになった。「平和教育をお願いします」と妻は言うのだが、案外この妻がこういうの苦手・・・。彼女が言うには「自分が苦手だから、とうたんがやってくれ」と言う事らしい。
上記チビチリガマの事件についても、勿論本人達は許されない行為をしたことには変わりはないが、伝えていくべき大人の責任も大きい。
先ず摩文仁にある平和祈念公園。立派な資料館が建っている。20年以上前になるが、会社に入った頃に何故か?親父と二人で沖縄に慰霊の旅に来ている。この旅行の動機が何だったのか覚えていないが、様々な慰霊碑を回った覚えがある。当時はこんな立派な資料館じゃなかったなぁ・・・。
資料館の中の展示は洗練(?)されていて、様々な趣向を凝らし、当時の悲惨な光景を表現している。勿論当時の本当の光景とは天と地ほどかけ離れていると思うのだが、平和ボケしたボクらには十分衝撃的な展示だ。是非沖縄に行かれた際には目を背けずに訪問していただきたい。
残念なニュースだが、「平和祈念公園」を社会科見学で訪れる県内の学校が減っているという事だ。話は逸れるが、ウチの弟も、ウチの長男も高校の修学旅行で沖縄の糸数のガマに行ったらしいから、案外県外の学校の方が沖縄で平和教育をしてるんじゃないのかな(データに基づかない雑感です)。
この青い海がアメリカ軍の艦船に埋め尽くされ、断崖絶壁からは多くの住民が身を投げたり、集団自決したり、アメリカ軍に殺戮されたり・・・。戦争とは言え耐えられないな。こんな穏やかな青い海なのに・・・。だからボクは南部では海水浴が出来ないんだよね。
「平和の礎(いしじ)」。先日亡くなった太田元知事の音頭で作られたレリーフだ。沖縄戦で亡くなった内外の人の名前が刻まれている。勿論名前も確認できなかった人も沢山いたのだろう。
礎に刻まれている皆さんは、今の世界をどのように見ているのだろうか?歴史を繰り返す人類を、忌々しくも淋し気な目で見ているんじゃないかな?
さぁまだ終わらないよ。
「ひめゆりの塔」。
併設されている「ひめゆり平和祈念資料館」。涙なしでは見れないぞ。平和公園の平和資料館よりも、より市民生活に近い女学生にフォーカスしているので、更にリアルであり、戦争の悲惨さを身近に感じることが出来る場所だ。ここもメジャーだけど、行ったことがない人も沢山いるんじゃないかな?
こども達も「どよーん」だけど、どんな思いを持ってくれたのかな?どう感じたのか分からないけど、親として「投げかけ」だけは必要だと思う。
さてさて・・・午前中の予定は終了・・・。
切り替えよう・・・。
お昼は小禄にある拠点のビーチパーティにお呼ばれしていた。
豊崎にある「美らSUNビーチ」。営業マン達が家族を連れて参加しているので、50人~60人ぐらいいたのかな?「きゃぁ~〇店長のお子さん可愛いぃぃx!」って、こども達大人気。ちょっと引き気味。
上のおねーさんは拠点長とマネージャー。おいおい!ビールサーバーもあるじゃないか?
二時間ほど騒いだ後、ボク達は午後のアクティビティーに、彼女達は宵の口までフィーバーしていたそうだ。
「玉泉洞」だ!南部にある沖縄ワールドに併設(沖縄ワールドが玉泉洞に併設が正しい)されている自然の鍾乳洞。規模が違う!!
何億年もかけて作られた自然美に酔う。三男君!いつもポーズだね・・・。
ノリノリだ!午前中の「どよーん」から立ち直ったか?
大変満足の鍾乳洞だね。三男君!おいおい!
おやつはマンゴーアイス。
本日の気温は32℃と記されている。昨日は33℃・・・まだまだ沖縄の夏は終わらない。
一日たっぷり遊びました・・・。
夜はだいちゅけモードで・・・。
「和民」!!三男が「わみん?」と言うので腹がよじれた(笑)。
さすが沖縄の和民。メニューが沖縄だ!
店内のオブジェも泡盛の甕。まさに沖縄。マンションから徒歩10分!最近こういうチェーン店で飲まなくなったなぁ。知らないあいだにファミリーユースにも耐えられる感じになっていたので、こども達も結構満足してくれたみたい。
「石焼タコライス」(笑)。
何気に美味い・・・ってかメチャメチャ美味い。
麩チャンプルー!これも中々いい。
大満足!!!
前稿から夏休みに次男と三男が沖縄に遊びに来た話をアップしていますが、今日はちょっと重い話かもしれません。だいちゅけが初めて沖縄に来たのはもう20年以上前、それもだいちゅけパパ(ってか?だいちゅけの親父)と二人だけで来ているのです。
その理由というのがまた変わってまして、なんと沖縄巡礼の旅で沖縄に初上陸したのです。親父は昭和8年生まれで、5歳の時日中戦争に従軍していた父親(だいちゅけの祖父)を亡くしています。まさに軍国少年だったわけですが、本土に住み、さらに戦火を避けるべく疎開していた親父は、激戦に晒された沖縄に対し常に「申し訳ない」と言う思いを持っているらしいのです。
そんなことで社会人になった息子(だいちゅけ)を連れて、お盆の休みに合わせ巡礼の旅に来た次第ですから、恩納村でレジャーなんてとんでもない話で、当時の平和祈念館やひめゆりの塔、喜屋武岬、様々な慰霊塔を回ったりと、どっぷり「巡礼」だったという訳です。
そんなこともあり、自分のこどもが遊びに来ても沖縄の歴史を少し学んでから沖縄で思い切り遊んで欲しいと思いまして、去年8月の記事になりました。前置きが長くてスミマセン・・・。
ちょっと重い話も多いのでご興味の無い方はスミマセン、宜しくお付き合い下さい。
次男と三男が沖縄にやって来た翌日。この日は8月9日で長崎の原爆の日。忘れてはいけないのは沖縄は太平洋戦争中住民を巻き込んだ激戦地だと言うこと。ボクの故郷である江東区(深川)も東京大空襲をはじめとした、凄惨なホロコーストを受けているが、沖縄という地は地元住民を巻き込んでの「戦い」が行われた土地であるところが、ちょっと違った意味がある。
先日読谷村にあるチビチリガマが、肝試しをしていた少年たちに荒らされたと言う話が沖縄を駆け抜けたが、後々経緯を聞くとチビチリガマの歴史的な意味を全く理解していなかったと言うことだ。
「ガマ」とは沖縄に多い自然の洞窟の事で、太平洋戦争中はこの自然の洞窟を軍が基地に使ったり、住民が防空壕として利用していた。上記読谷村は沖縄中部にあり、昭和20年3月にアメリカ軍が初めて沖縄本島に上陸した場所。読谷村にあるガマの一つチビチリガマでは、当時住民が多数避難していたが、アメリカ軍の上陸に合わせ「生きて辱めを受けず」の精神の下、ガマの中で集団自決が行われたそうだ。
考えただけでも恐ろしい。家族で手榴弾を囲んで自決したり、親子で殺しあうと言う凄惨な地獄絵巻が展開されたそうだ。なんで?なんて平和な世の中に生きている我々は思うと思うが、当時国民は「生きて辱めを受けず」の精神を叩きこまれ、捕虜にでもなったら、男はその場で殺され、女子は辱めを受けた後に殺されるなんて話を擦り込まれていた訳だから「常識」は怖い。
教科書ではこの集団自決について日本軍の強要は無かったという事になっているが・・・。こういう話はブログでは御法度だな。
そんな沖縄と言うこともあり、息子たちには史実を理解した上で沖縄をエンジョイして欲しいと思い、9日の午前中は平和教育巡りをすることになった。「平和教育をお願いします」と妻は言うのだが、案外この妻がこういうの苦手・・・。彼女が言うには「自分が苦手だから、とうたんがやってくれ」と言う事らしい。
上記チビチリガマの事件についても、勿論本人達は許されない行為をしたことには変わりはないが、伝えていくべき大人の責任も大きい。
先ず摩文仁にある平和祈念公園。立派な資料館が建っている。20年以上前になるが、会社に入った頃に何故か?親父と二人で沖縄に慰霊の旅に来ている。この旅行の動機が何だったのか覚えていないが、様々な慰霊碑を回った覚えがある。当時はこんな立派な資料館じゃなかったなぁ・・・。
資料館の中の展示は洗練(?)されていて、様々な趣向を凝らし、当時の悲惨な光景を表現している。勿論当時の本当の光景とは天と地ほどかけ離れていると思うのだが、平和ボケしたボクらには十分衝撃的な展示だ。是非沖縄に行かれた際には目を背けずに訪問していただきたい。
残念なニュースだが、「平和祈念公園」を社会科見学で訪れる県内の学校が減っているという事だ。話は逸れるが、ウチの弟も、ウチの長男も高校の修学旅行で沖縄の糸数のガマに行ったらしいから、案外県外の学校の方が沖縄で平和教育をしてるんじゃないのかな(データに基づかない雑感です)。
この青い海がアメリカ軍の艦船に埋め尽くされ、断崖絶壁からは多くの住民が身を投げたり、集団自決したり、アメリカ軍に殺戮されたり・・・。戦争とは言え耐えられないな。こんな穏やかな青い海なのに・・・。だからボクは南部では海水浴が出来ないんだよね。
「平和の礎(いしじ)」。先日亡くなった太田元知事の音頭で作られたレリーフだ。沖縄戦で亡くなった内外の人の名前が刻まれている。勿論名前も確認できなかった人も沢山いたのだろう。
礎に刻まれている皆さんは、今の世界をどのように見ているのだろうか?歴史を繰り返す人類を、忌々しくも淋し気な目で見ているんじゃないかな?
さぁまだ終わらないよ。
「ひめゆりの塔」。
併設されている「ひめゆり平和祈念資料館」。涙なしでは見れないぞ。平和公園の平和資料館よりも、より市民生活に近い女学生にフォーカスしているので、更にリアルであり、戦争の悲惨さを身近に感じることが出来る場所だ。ここもメジャーだけど、行ったことがない人も沢山いるんじゃないかな?
こども達も「どよーん」だけど、どんな思いを持ってくれたのかな?どう感じたのか分からないけど、親として「投げかけ」だけは必要だと思う。
さてさて・・・午前中の予定は終了・・・。
切り替えよう・・・。
お昼は小禄にある拠点のビーチパーティにお呼ばれしていた。
豊崎にある「美らSUNビーチ」。営業マン達が家族を連れて参加しているので、50人~60人ぐらいいたのかな?「きゃぁ~〇店長のお子さん可愛いぃぃx!」って、こども達大人気。ちょっと引き気味。
上のおねーさんは拠点長とマネージャー。おいおい!ビールサーバーもあるじゃないか?
二時間ほど騒いだ後、ボク達は午後のアクティビティーに、彼女達は宵の口までフィーバーしていたそうだ。
「玉泉洞」だ!南部にある沖縄ワールドに併設(沖縄ワールドが玉泉洞に併設が正しい)されている自然の鍾乳洞。規模が違う!!
何億年もかけて作られた自然美に酔う。三男君!いつもポーズだね・・・。
ノリノリだ!午前中の「どよーん」から立ち直ったか?
大変満足の鍾乳洞だね。三男君!おいおい!
おやつはマンゴーアイス。
本日の気温は32℃と記されている。昨日は33℃・・・まだまだ沖縄の夏は終わらない。
一日たっぷり遊びました・・・。
夜はだいちゅけモードで・・・。
「和民」!!三男が「わみん?」と言うので腹がよじれた(笑)。
さすが沖縄の和民。メニューが沖縄だ!
店内のオブジェも泡盛の甕。まさに沖縄。マンションから徒歩10分!最近こういうチェーン店で飲まなくなったなぁ。知らないあいだにファミリーユースにも耐えられる感じになっていたので、こども達も結構満足してくれたみたい。
「石焼タコライス」(笑)。
何気に美味い・・・ってかメチャメチャ美味い。
麩チャンプルー!これも中々いい。
大満足!!!